軍艦島(端島)

長崎 - Nagasaki -

に行ってきました!
   
2024年11月下旬に軍艦島上陸クルーズに行きました。
旅行の参考になりそうな感想とポイントをまとめてみました。
   

写真の解説

写真は、11月に撮った写真です。
  
東側から見た端島(はしま)で、左手には、船着場があります。他のクルーズ船が見えます。
右手には、今は使われず荒廃していますが、端島小中学校や端島病院などがあります。
上陸見学ができるのは、向かって左側です。


※本ページは、プロモーションが含まれています。

軍艦島について

 正式名称は端島(はしま)
 塀が島全体を取り囲み、高層コンクリートが立ち並ぶその外観が、軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
    
 岩礁(元々は現在の3分の1ほどの大きさ)の周りを埋め立てて造られた小さな海底炭坑の人工の島です。
 19世紀の初め頃には佐賀藩が小規模な採炭を行っていましたが、1890年(明治23年)三菱合資会社の経営となり、海底炭鉱として操業が開始されました。
    
 狭い島で多くの人が生活するため、1916年(大正5年)日本初の鉄筋コンクリート高層アパートが建設されました。
 最盛期の1960年には約5,300人もの人々が住み、人口密度は、当時の東京都の約9倍で、世界一と言われました。島内には小中学校や病院、神社、映画館やパチンコなどの娯楽施設もあったとのこと。
  
 端島炭坑の石炭は良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化に大きく貢献しましたが、石炭から石油へとエネルギー需要の中心が移行したことにより衰退。85年間の操業を終了し、1974年(昭和49年)に閉山、無人島となりました。
  
 2009年に一般の方の軍艦島への上陸が可能となります。
 2015年、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。
  
  
 下写真は、西側から見た端島。この角度が一番、戦艦土佐に見えるとのこと。
 左手に半分ほど見えている島は、中ノ島。軍艦島には火葬場と水がなく、中ノ島は、軍艦島で亡くなられた方の火葬場としても使われていました。

  

軍艦島の感想

利用したクルーズ船は、高島海上交通。
長崎港から船で約40分ほどの高島にお手洗い休憩がてらまず上陸。石炭資料館に行き、端島の模型を見ながらガイドさんの話を聞きました。三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の銅像もあり。(写真)龍馬伝に出てくる弥太郎のイメージが強いのですが、似ている気が。。
  
高島から軍艦島までは10分ほど。
何を隠そう、以前軍艦島クルーズに来た時には接岸までしたのに、風があり波が高くて船長の判断で上陸できずに引き返すことになりました。今回はぜひ上陸したい、ということでドキドキ。上陸できた時は嬉しかったです。
  
島上は思った通りの廃墟。1時間もしないで島半分は歩けるだろうというような小さな島に5,000人近くの人が住んでいたこともあるなんて、想像し難い現実です。人だらけ?
炭鉱員の給料は高いと言えども、労働内容は過酷だったようです。
  
荒廃していて崩れ落ちそうな場所があっても、ちょうど軍艦島が舞台のドラマの影響などもあり、軍艦島上陸ツアーによる経済波及効果はきっと大きいですね。

  

心地よい旅のポイント

※ 情報は変わる可能性もあるため、各公式HPにてご確認ください。

  • 海の上は、体感温度が少し下がります。船のデッキに出て外を見たい、写真を撮りたい方は、上着など忘れないようにしましょう。
      
      
  • 軍艦島にはお手洗いはありません。
      
  • 風が強いため、島上では日傘や雨傘が使えません。雨の日はカッパになるそう。
    帽子を着用する方は、風で飛んでいかないように対策しましょう。
      
  • 特に夏など、サンダルやヒールの高い靴などは安全上適していないため、クルーズの予定がある場合は歩きやすい靴で行きましょう。
      
      
  • 軍艦島上陸クルーズは、船会社5社ほどで運航されています。
    発着所サービス料金船の大きさなど、違いを確認して申し込みましょう。
      
      
  • 軍艦島の上陸のためには風や波などの安全基準を満たしていることが条件。
    晴れていても波が高い、などの場合は、岸まで行けても島への上陸はできません。
    島の周りを周遊して長崎港にやむなく戻ることになります。天候には逆らえません。
    上陸できる確率は約3分の2。
    上陸できたらラッキー♪くらいの気持ちで行きましょう♪
    荒天だと、船にさえ乗れませんから ^^;
      
       
  • 長崎市の観光地に近い発着所の船会社が多いです。
    眼鏡橋や出島、中華街などの観光地もその日に行けそうですね。
      
      
  • 風がある日はやっぱり揺れます。陸に着くまで逃げ場所はありません。
    酔いやすい方は酔い止めを飲んでおきましょう。
      
      

まとめ

無人島となって廃墟となっていても歴史があってなんとなく惹きつけられる軍艦島。
一度は行ってみたいですね。
船上から見える風景やガイドさんのお話も興味深いですよ。
  
  
Have a nice trip!良い旅を!!



  

Gunkanjima(Warship island)

The official name is “Hashima Island”.
The name ‘Gunkanjima’ comes from its appearance, with walls surrounding the entire island and high-rise concrete buildings, which resembles the warship ‘Tosa’.

Gunkan means warship. So English name is warship island.

It is an artificial island of small undersea coal mines, built by reclaiming the area around a reef (The island was originally about one-third the size of the current island).
Small-scale coal mining was carried out by the Saga clan in the early 19th century, but in 1890 the island was taken over by the Mitsubishi Joint-Stock Company, which began operating it as a submarine coal mine.

In order to accommodate the large number of people living on the small island, Japan’s first reinforced concrete high-rise flats were built in 1916.
At its peak in 1960, about 5,300 people lived on the island, and the population density was said to be the highest in the world, about nine times that of Tokyo at the time. The island also had an elementary and junior high school, a hospital, a shrine and entertainment facilities such as a cinema and pachinko.

The coal from the Hashima Island mine was of high quality and, together with the neighbor’s island mine, contributed greatly to the modernization of Japan, but declined as the focus of energy demand shifted from coal to oil, and after 85 years of operation the mine was closed and the island became uninhabited in 1974.

In 2009, the public was allowed to land on Gunkanjima.
In 2015, the island was officially registered as a World Heritage Site.

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