に行ってきました!
2024年11月下旬に壱岐島(いきのしま)(左京鼻(さきょうばな)、はらほげ地蔵)に行きました。
旅行の参考になりそうな感想とポイントをまとめてみました。
写真の解説
写真は、11月に撮った写真です。
壱岐対馬国定公園にある左京鼻です。
左京鼻の海中から細い柱を束ねたような奇岩が突き出ています。左京鼻の観音柱です。
※本ページは、プロモーションが含まれています。
壱岐島(左京鼻、はらほげ地蔵)について
左京鼻は、壱岐島の東側、八幡(やはた)半島の先端の岬を指します。
壱岐を代表する景勝地の一つ。海岸線には玄武岩の柱状節理が発達してできた大岩が点在しており、海蝕崖の断崖絶壁がおよそ1km続きます。
壱岐には、岬などの突端にある断崖絶壁を鼻(ばな)と表し、鼻が付いた地名が多くあります。
また、海中から突き出る細い柱が連ねたような柱状節理の奇岩は折柱(おればしら)、観音柱(かんのんばしら)などと呼ばれます。
壱岐島誕生の神話によると、壱岐島は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が矛で混沌をかき混ぜて作った大八島の一つの島で、生き島であったため島が浮いて逃げないように神様が周りに8本の岩柱で繋ぎ止めたそう。その柱は折れ、今も岩となって残っています。猿岩とともに左京鼻にある海中から突き出た柱状節理の岩礁も、その壱岐にある8本の柱の1つと言われています。
左京鼻の由来としては、江戸時代の初め頃、大かんばつに襲われた際、陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰和尚の二人は農民の要望に応え雨乞いの祈祷をしたが雨は降らなかった。満願の日が来て左京が岬の断崖から身を投じようとすると豪雨が降り山野を潤した、という伝記があります。
玄武岩特有の柱状節理(ちゅうじょうせつり)について
壱岐島のほとんどは玄武岩によって構成されています。約700万年前~70万年前の火山活動の際に地中から吹き出した溶岩が冷えて固まったもの。熱い溶岩やマグマが外側から冷えて固まる時に表面が硬くなり収縮して亀裂が入り柱状の割れ目ができます。中まで冷えると亀裂も奥まで入っていきます。壱岐の島の岩は細い柱を束ねたようになり、断崖は侵食され、垂直に切り立った状態になりました。
〜 はらほげ地蔵 〜
左京鼻から車で5分ほどのところに、はらほげ地蔵として知られる6尊のお地蔵様が鎮座しています。
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)における苦しみや悩みから救ってくれると言われており、遭難した海女さんや鯨の供養のため、海女さんの安全祈願、八幡浦(やはたうら)全体の安泰のためなどに祀られているとのことです。
はらほげ地蔵の名前の由来は、お地蔵さんのお腹がほげている(穴があいている)ため。(ほげる、は一部の九州弁。)
写真は、干潮時のはらほげ地蔵。

壱岐島(左京鼻、はらほげ地蔵)の感想
自然を満喫していました。
左京鼻に行った日は風があり、柵もないところで断崖絶壁を見るという、完全自己責任の散策です。
岬の先端にある龍神様の祠に行く時には、道が少し狭くちょっとこわかったですけど絶景でした。
はらほげ地蔵は、ちょうど干潮時の時に行ったため、全身を見ることができました。
後ろか前か分からなかったんですけど、前かけしているので、手前が前。お顔はなく、暖かそうな赤い帽子をかぶっていました。前かけをちらっとめくって見ると、実際にお腹に穴がほげているの(あいている)のが分かりました。
海の侵食でほげているのかと思ったら、意図的な作られた穴に見えました。お供物を入れるため、など諸説あるようです。
満潮時に胸まで海水が浸かるなんて、お地蔵様も大変。そんな姿を見たら、自分も頑張らなければと思いそうです^^;
心地よい旅のポイント
※ 情報は変わる可能性もあるため、各公式HPにてご確認ください。
- 左京鼻周辺の断崖絶壁は、高さが約20mもあって、距離は約1kmに渡ります。すごい景観!
足元や風に気を付けて辺りを散策してみましょう。
- 左京鼻にある海中から突き出た柱状節理の岩礁の上部は、海鵜の住処になっていてフンにより白く見えます。
- 散策していると、先の方に左京鼻龍神の祠(写真)があります。
道が狭くなっていてすぐ横は断崖絶壁なので飛ばされないように注意しましょう。

- はらほげ地蔵のお地蔵様の手前にはお賽銭箱がありました。
まとめ
断崖絶壁の絶景を見たり、哀愁漂うお地蔵様を見たり、
壱岐の島の自然を堪能してみませんか。
Have a nice trip!良い旅を!!